海外遠征の足跡
パキスタン グルカワジャ山群,2005年
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1999年以来、当該地の情報収集・探査をしていたが、パミール地方の6,407mに目を向け、同峰の試登を南面から行った。
情報が倒錯していたが、ナジール事務所よりパキスタン政府から6,407m峰は6,500m以下だから登山の許可は必要ないという朗報がもたらされた。 続きを読む…
パキスタン バトゥーラⅠ(7,785m),1999年
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3名の友を失う
困難ではあるけれども自分たちに納得の行く登山をしたい、と最終的に絞ったのが、このバトゥーラⅠである。1976年にドイツ隊が初登頂して以来、日本からは2隊がでているがいまだに成功していない。 続きを読む…
ネパール アマダブラム(6,812m),1997年
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全員登頂
1996年の福岡市山岳協会のチョモランマ隊員であった3名がキャラバン中、若い者だけで思いきりぶつかるシンプルな山登りをしたいと言ったのがコトの始まり。
話は盛り上がったが、どれだけ本気だったかは分からない。 続きを読む…
中国 崑崙山脈・客什塔什山域,1987年
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◆初登頂した5740m峰。
(6699m峰稜線上より)
無名峰 6,699mの探査、5,740mの初登頂
1985年6月、中国登山協会に申請書を郵送したときに本計画はスタートした。
第1希望をチオンムスターグ(6,962m)、
第2希望を7,167m峰。
東京農大隊と競合することとなり、東農隊が86年、本会が87年に決定。 続きを読む…
ネパール カンジロバ・ヒマール(6,883m),1979年
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北西尾根からの新ルートを拓き登頂
当初、西ネパール山群のハンギング・グレーシャー・ピークス(6,500m)を計画したが解禁ならず、同地方で唯一解禁されているカンジロバ主峰(6,883m)を許可を得る。登山隊のキャラバンスタートとなるジュムラへの飛行便の確保に1か月かかり、加えてダサインというネパール最大のお祭りの日に第2便が飛ぶなど、カトマンズからのスタートは大変だった。 続きを読む…
ネパール ダウラギリⅣ峰(7,661m),1970年
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1952年、戦後日本初のトゥインズ7,350m(シッキム側)が神戸まで隊荷を送り隊員が出国寸前、インド政府の国境周辺事情悪化のため、中止となった。再度、ネパール側からトゥインズに登頂すべく準備を開始したが、またまたネパール政府は国境周辺の悪化のため、登山を禁止した。解禁への見通しは立たず、しかし解禁の暁には直ちに目標の山へ向かうべく準備をすることとし、探査隊派遣を決定。 続きを読む…
インドトゥインズ(7,350m),1952年~登攀とカンチェンジュンガ偵察~
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「斯く考え斯く行動して、我々は改めて日本の山岳界を見回してみた。この国にはヒマラヤを啓蒙してくれた先輩や文献には事欠かない。ヒマラヤ礼賛者にいたってはそれこそ何万人いることであろう。しかし、ヒマラヤ行きを現実的に考え黙々として一歩一歩前進する人が、山岳団体が、はたしてどれだけあるであろうか。」 続きを読む…