中国 崑崙山脈・客什塔什山域,1987年
◆初登頂した5740m峰。
(6699m峰稜線上より)
無名峰 6,699mの探査、5,740mの初登頂
1985年6月、中国登山協会に申請書を郵送したときに本計画はスタートした。
第1希望をチオンムスターグ(6,962m)、
第2希望を7,167m峰。
東京農大隊と競合することとなり、東農隊が86年、本会が87年に決定。
もし東農隊が未登ならば第1希望とすることで再申請。その後、東農隊が登頂。
中国への照会、他パーティーからの情報により、最終的には無名峰(6,699m)に決まった。
この間、新疆登山協会から文書が届き戸惑う。今までは中国登山協会を窓口として折衝していた。
これからは、福岡ー新疆ー北京との3点折衝が続く。
87年5月、吉田與和氏(国際交流協会・京都)が訪中のため、議定書調印のた資料を京都に送る。
87年6月、登山許可(6,699m)が電話である。計画は二転三転、出発まで2年を要した。
無名峰(6,699m)は至近距離まで詰めながら天候が悪く山容が望めず、確認したときはビバーク
しての接近であった。残念ながら時間我らに味方せず終わった。
後年、長野県信高山岳会(信濃高等学校教職員山岳会)が同峰を計画、本会もこれを了承。
同峰へは3度に亘り登山隊を派遣。2001年8月に初登頂に成功した。

| ◆隊員構成 | ||
| 隊長 | 諸岡 久四朗(62) | |
| 副隊長 | 岡崎 猷之(45) | |
| 登攀隊長 | 高嵜 渉(34) | |
| 装備・輸送 | 松永 碩雄(44) |
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| 装備・輸送 | 安徳俊一郎(34) |
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| 医療 | 高橋 勝子(45) |
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| 庶務 | 木村寿子(38) |
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| 食料 | 大田育子(32) |
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| 連絡官 | 買 買堤(37) |
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◇中国崑崙山脈,6699m峰。
| ◆行動日程 | ||
| 7月18日 | 福岡空港発 | |
| 7月21日 | ウルムチ着 夜、新疆登山協会の秘書長の来訪を受け質問を受ける。 事情は不明だが全 く返事がないので中止したと思っていた。 北京から急遽世話をしてくれと言ってきて困っている。これに対し今までの経過を縷々説明、理解を得た。荷物は今日着き、貴方達もここに来ている。 今後の事だけを考えていこう、という好意的な返事を貰った。一旦了解されると親身の世話を受けて大変助かった。 |
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| 8月 1日 | BC設営 | |
| 8月12日 | 5,740mに初登頂、松永、安徳、高嵜、 | |
| 8月13日 | 5,740mに第2登、岡崎、高橋、大田、 | |
| 14日~16日 | 5,970mまで | |
| 8月20日 | BC撤去 | |
| 8月27日 | ウルムチ | |
| 8月28日 | 北京 | |
| 8月31日 | 福岡空港、帰国 | |
| ★昭和62年『せふり』7月号「中国崑崙登山計画」。 | ||
| 9月号「壮行会報告」。11月号「登山隊報告」(高嵜)。 | ||
| 63年1月号~平成元年1月号「登山隊報告」(諸岡)。 | ||
| 『中国崑崙山脈登山報告書』福岡山の会平成元年11月刊(諸岡編)。 | ||
(画像提供/ 高嵜 渉氏)